初恋の彼女と思わぬ形で再会してから十年の月日が流れた…。

2006年夏。

あれからというもの、私は週末になると内外タイムスを片手に競馬場へと足を運んだ。

それまでは、その日の生活費を日払いの労働で稼ぐ生活をしていた私にとって、内外タイムスの「競馬大穴コーナー」は神からの救いの手と言っても大袈裟ではなかった。

私は少ない資金を元手に、数年で数百万円という大金を手にするようになっていた。

今日も部屋のカーテンから差し込む日射しで目が覚めた。

私は眠い目を擦りながら、机の上のパソコンを開き、お気に入りのコーヒーを煎れる。

その足で玄関先まで向かいポストの中を覗き込んだ。

数枚の郵便物と新聞。

私はそれらを手に取り大きな黒革の椅子に腰を下ろした。

新聞を広げる。

「日本経済新聞」堅苦しい明朝体の文字が目に飛び込んできた。

私は慣れた手付きで紙面をめくり、株価の動きをチェックした。

一通り目を通した私は、煎れたての熱いコーヒーを喉に流し込み、パソコンのマウスに手を置いた。

「デイトレード」株式売買を一日の間で手仕舞い損益を確定する超短期の投資方法だ。

私は「内外タイムス競馬大穴コーナー」で作った資金を元に、この「デイトレード」を仕事としていた。

我ながらあの頃からは想像出来ない程の資産を築くに至っていた。

日課である「デイトレード」は毎日午後三時にその日の取り引きを終了する。

その日の取り引きが終了してからは、内外タイムスNPネットの画面に切り替える。

あの「三行広告」のインターネット版だ。

(時代は変わったな…)

それから数十分経った頃だろうか。

私の家の扉を強く叩く音で、昨日の夜の姉の電話を思い出した。

「明日、うちの子が遊びに行きたいって言ってるわよ」。

(そうか今日は甥が遊びに来る日だったか)

私は扉のほうへと黒革の椅子のキャスターを向けた。

私が扉を開くのと同時に元気な甥の笑顔が私の部屋を覗き込んだ。

「いい?」私が頷くと彼は私の部屋へと入ってきた。

右手には新聞を持っている。

「ポストの中に入ってたよ」私は彼から新聞を手渡され、再び黒革の椅子に腰を下ろした。

私は机のすぐ後ろにあるレコードに手を伸ばし、そっと針を置いた。

大きなスピーカーからは往年の名曲「イン・ザ・ムード」が静かに流れ出した。

古き良き時代のジャズのスタンダートナンバーは、あの頃の作家との出来事を静かに思い出させた。

私は机の上に置いてあるバーボン(ワイルド・ターキー)を静かにグラスに注ぎながら、音楽と甥の話声の両方に耳を傾けている。

私は先程甥に手渡された新聞を開いた。

「内外タイムス」カラーの一面には競馬情報が所狭しと書き綴られている。

私は一目散にお目当ての「三行広告」の紙面を開いた。

相変わらず過激な言葉が濫立している。

食い入るように紙面を見る私は、甥の声が聞こえなくなったことに気付いた。

ふと何かの気配を感じ背後を振り向くと、そこには驚きを隠せずに立ちすくむ甥の姿があった。

彼は強張った表情で私に「それは何?」と、一言聞いた。

私は内心ドキドキしながらも「お前にはまだ早い」。

自然とその言葉を発した。

私は自らがこの年令に達したこと。

そして、あの頃に比べての心境の変化に驚き、戸惑いながらも、込み上げる喜びは何とも言えないものだった。

あの頃の憧れに追いついた私は、手に持つグラスのバーボンを一気に飲み干し、彼に聞いた。

「好きな娘はいるのか?」ちょうど作家の家に通い詰めた頃の私と同じ年の甥は、恥ずかしそうに頷いた。

好きな子はいるが、どうしていいか分からない。

そんな彼の悩みを聞きながら、私は思わず吹き出しそうになりながらも真剣に彼の話を聞いた。

そう、あの頃の作家がそうしてくれたように。

外はすっかり暗くなっている。

長い時間話し込んだ彼は疲れた様子で私の応えを待っている。

彼の「どうしても好きな娘とキスしたい」そんな質問に対する答えだ。

私は机の上のバーボンを手に取り、「女とはまず知ることだ」私はそう一言だけ応えた。

彼がどう考えたかは分からない。

しかし彼は、晴れ晴れとした顔で大きな声で返事をした。

私は彼に微笑みかけ右手に内外タイムスを握った。

「駅まで送ろう」

彼は私の後ろを歩いている。

駅の改札を通った後も彼は振り向きながら大きく手を振っていた。

私は彼が見えなくなるまで見送り、そして天を仰いだ。

作家のこと、親友のこと、彼女のことを思い浮かべながら。

そして私はまた、ゆっくりと歩き出す。

夜に輝くネオンを求めて

…内外タイムスを握りしめ…